Green, Forest and Nature.

WEBLOG articles by the Vice Chairperson of The Mountain Naturalist Club

福岡堰と伊奈半重郎十郎忠治

小貝川の福岡堰

茨城県常総市つくば市つくばみらい市の3市が接するあたり、
小貝川の川岸に桜の名所としてよく知られている「福岡堰」があります。そして堰の脇には「伊奈神社」があります。
福岡堰は台通・川通用水路、中悪水路などの用水路の水源として小貝川の水が引き込まれている取水口です。
岡堰、豊田堰とともに小貝川の三大堰と言われています。

福岡堰からひかれている用水路

会津を源流とする鬼怒川と日光連山を源流とする小貝川の流域にあって、現在は見渡す限りの水田が広がっているようにも見えるこの地域ですが、実はこの風景はそれほど古くからのものではありません。
土壌の豊かな氾濫原が水田が広がる土地になったのは江戸時代からのことです。(氾濫原は洪水に浸水する範囲のことをを指します。このあたりの平坦な土地は全て含まれます)
福岡堰土地改良区のホームページを参照すると、
福岡堰から川通用水路、台通用水、副用水路、に分岐され、開水路により自然灌漑されるようになったそうです。また、台地沿いに点在する谷津田地帯にも導水されている、とのこと。

小貝川の三大堰とは?
関東地方整備局 下館河川事務所「鬼怒川・小貝川を知る」,https://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/shimodate_index003.html を参照させていただいています)

福岡堰
福岡堰は、旧谷和原村(現つくばみらい市)東部、伊奈町(現つくばみらい市)一帯の新田開発に活用されました。
岡堰
小貝川の北相馬郡寛永7年(1630)につくられた堰は、幾度かの増改築を重ね、現在の取手市一帯の用水源として利用されました。
豊田堰
小貝川の最下流に寛文7年(1667)つくられ、現在の龍ケ崎市、河内町の用水源として利用されました。

小貝川を水源とする用水には、右岸側では 喜兵衛用水、大日堂用水がありますが、後世~明治以降にも改良が加えられ、堰上げされて灌漑されるようになったようです。

この福岡堰は、関東郡代(後の呼ばれ方のようです)を勤めた伊奈半重郎十郎忠治が手がけたものだそうです。
忠治は伊奈忠次の次男で、父、兄の仕事を引き継いで関東一円で治水工事、新田開発、河川改修を行った人物として知られています。江戸川の開削に携わったことが有名ですが、それより前に、鬼怒川と小貝川の分流工事に携わっていたという、土木・土地改良の始祖(?)のような人です。
関東郡代を歴代勤めた伊奈氏ですが、富士山の自然再生、観察会に長年携わっている私たち山の自然学クラブのメンバーにとっては、静岡県小山町にある須走の「伊奈神社」がなじみがあります。須走の神社にまつられているのは<伊奈半左衛門忠順>。今回の機会に調べてみましたところ、福岡堰にまつられている伊奈半重郎十郎忠治は、忠順の4代前に当たるようです。

関東周辺の治水・利水の歴史は、しっかり現地を見ながら調べていくと地形もわかりやすくておもしろいと思っています。現地をゆっくり歩きつつ、観察をしてみたいと思っています。