Green, Forest and Nature.

WEBLOG articles by the Vice Chairperson of The Mountain Naturalist Club

富士山湧水のヒミツと幻の滝

富士山に、一年のうちほんのわずかな間だけ現れる滝があるのをご存じですか?
その名も「幻の滝」。例年5月初旬に姿を現し、6月初旬には姿を消してしまう雪解け水の滝です。

幻の滝の場所は、富士山の東側、標高2000メートルほど。気温が上がって増えた雪解け水が、不浄流しと呼ばれる「枯れ沢」を流れ集まってできます。

須走口の登山口から道がわかれており、登っていくと植物はほとんど見られなくなり、岩に覆われたエリアに出ます。さらに進むと、この時期この場所だけの流水を見ることができました。岩肌を流れる雪解け水は、さすがに冷たく、流れもそこそこ急です。

富士山 幻の滝
幻の滝(2009 年 5 月 23 日 撮影 )

写真で大きくみえるこの流れは、すぐ下方で再び地下に潜ってしまって、地上からは全く見えなくなってしまいます。なんとも不思議な滝です。

富士山に降る雨や雪は、年間 20 億トン以上といわれます。富士山の初冠雪は 10 月末ころ、その後約半年間雪に覆われていることになりますから、溜まっている雪の量は相当なもの、雪解けがピークを迎えるころになると、場所によっては地面に浸透しきれず表面に流れをつくるのですね。

それでは、普段はこの水はどこを流れているのか。その謎は、富士山の表面の岩を見てみるとわかります。スポンジのように大小の穴があいています。この岩の名前はスコリアというのですが、降ってきた雨はこの穴からしみこんでしまうので、実は富士山には普通に私たちが想像するような川ができないのです。スコリアの層の下には水を通さない溶岩流があって、雨や雪が雪解け水は地下を流れ、麓のあちらこちらに流れ出てくるのです。

富士山の表面を覆うスコリア
富士山の表面を覆うスコリア

例えば、富士山の麓に位置している富士五湖へ 流れ込む川はありません。その代わり、本栖湖精進湖には溶岩流が到達していて、その先端から水が湧き出しています。
麓の富士宮浅間神社にある湧玉池の湧水量は一日20万トンとも言われています。

次の画像は、航空機からレーザーで測量し、富士山の表面を詳しく見た地図です(正式には「赤色立体地図」ですが、見た目から「内臓マップ」とも呼ばれています)。溶岩流のあとがはっきりとわかるのではないでしょうか。

富士山の赤色立体地図
富士山の赤色立体地図(山頂周辺)

湧水は溶岩の端から湧きだしますので、おもな湧水をマッピングしてみると、かなり裾野の方にあるのがよく分かります。
有名な白糸の滝や、忍野八海柿田川など湧水量が多くよく知られている湧水の多くは、雨や雪がスコリアに浸透し、地中をゆっくり流れ(というよりも自然に下方へ押し流されて)、十数年かかって溶岩流の末端で湧き出したものです。

富士山の赤色立体地図(広域):湧水をマッピング
溶岩流と湧水の図解
溶岩流と湧水の図解

水は下へ流れ下ります。富士山の表面を水が流れていたら、すでに富士山は今のような形ではなかったと考えられます。たとえば、大沢崩れでは、16 万 立方メートルの土砂が崩れています(富士砂防工事事務所)。水が地表面を流れていたら、どんどん表面は削られて、あっという間に侵食されてしまうでし ょう。美しい姿がこんなによく残っていなかったかもしれません。そんなことを踏まえて富士山を眺め、将来の姿を想像するのもおもしろいかもしれません。

※赤色立体地図:航空レーザ計測結果を赤色の彩度と明度で可視化。傾斜が急な面が赤く、尾根は明るく谷が暗くなるように表されている。
※参考:国土交通省 富士砂防事務所「富士山知識」https://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/index.html

2020年・3月11日を迎えて

3月11日によせて・2020年

東北地方太平洋沖地震から9年が経ちました

今年は令和2年・2020年になりました。(山の自然学クラブ事務局ブログにもほぼ同じ文章を掲載しています)
ここしばらくの期間、会での活動・取り組みについて、そして自身の研究や活動について考え、取り組み始めています。
2011年の震災から9年も経ってしまったのだと、いろいろなおもいを持っています。時間が止まったように思ったことも、時代がさかのぼってしまったのではないかと思ったことも、たびたびありました。そしてもっと自分にできることはないのだろうかとも考え続けてきました。
三陸地域での活動に限ったことではありませんが、これまで「山の自然学クラブ」における活動が継続できたのは、なにより、会を支え、楽しく一緒に行動してきた仲間があってのことと考えます。退会されるなど、現在は会に参加していらっしゃらない方を含めて、一緒に行動してきた仲間たちに、なにより感謝したいと思います。
山の仲間はいつでも行動がしっかりしています。自分も前向きになることができる仲間がいてくれて本当によいものだ と この会に入ってからじんわり、そして心から思うようになりました。

さて、弱冠 おもいおもいが入らざるを得ない毎年この日ですが、
2001年に法人となった「山の自然学クラブ」は2020年、創立から20年の節目となります。大蔵さんを中心に、20年を記念できるような行事・活動を考えていく予定です。
楽しい仲間達と さらに前向きに取り組むことができるような活動を考えていきたいと思います。

2020年になりましたが、3月11日を迎えるにあたって 2011年の年末、山の自然学クラブの会報第11号の製作がほぼ終わった頃に大蔵さんと一緒に考えた文章を読み返しました。会として、自然と仲間と共にありつつ、自然保護を実践するものの立場から考えることは、この言葉につきます。省察をかね、あらためてここに記したいと思います。

会報11号巻頭のことば・大蔵喜福理事長

(テキスト)2011年12月
ご親戚、ご友人含め、東日本大震災はじめ今年発生した災害により被災されたみなさまに、謹んでお見舞い申し上げます。
自然に携わる活動をする人間のひとりとして、今年発生したたくさんの自然災害や事故の報に接し、悲痛な思いを禁じ得ません。会としてできる事を整理しながら、今後も活動を検討していきたいと考えております。

震災やその後の輪番停電の混乱などにより、残念ながら当会においても、予定していた活動や行事の多くが実施を見合わせたり延期したりすることを余儀なくされました。

当会はもともと、「山から始まる自然保護」をモットーに、“自然に学び、自然を守る”活動をしてきました。「これまで行ってきた活動をきちんと責任を持って続けることが、一番の復興活動である」ことが基本方針です。加えて、現地講座や活動をできるだけ被災した地域で行うなど、復興支援にも寄与する活動を積極的に支持します。それぞれの会員・理事が積極的に活動して下さることを会としてもバックアップしていきます。また、現地で活動を行っている環境保護関連の団体や教育機関と積極的に連携をとりながら、活動を継続したいと思います。
多くの災害や事故、そして電力不足に悩まされた今年一年でしたが、会員ひとりひとりの意識と行動の結晶として、この会報11号を発行できることを誇らしく思います。これからも大切な仲間と共に歩む会であり続けます。会員諸氏のますますの活躍を期待致し、発行のことばと致します。

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2017年に NTT東日本が「震災から芽生えた想い × NTT東日本の想い」という動画を作成しました。2018年に公開されたようです。現地のみなさんのためになればと思って、取材に少し協力いたしましたが、当会のPRのためのものではありませんので、公開時には理事会で報告したくらいで、とくに広くアナウンスはしませんでした。

が、たまたま先日 ホームページを見ていたら結構しっかり画像を残して下さっていて、ありがたいなと思いました、というのと、やはり「活動はまだまだこれから!」という自分の気持ちを新たにしましたので、ブログでも掲載場所をご案内(?明記?)することにしました。映像は仙台沿岸の「森の防潮堤」の活動をしている陶山さん達の活動と、海べの森をつくろう会さんと山の自然学クラブで進めている地域の植物を育てる活動 を紹介して下さっている内容です。
サイト内で変更があるかもしれませんので、リンクははりません。
お時間のあるときに見ていただけると嬉しいです。

NTT東日本 WEBサイト > 企業情報 > 広報宣伝活動 > EASTギャラリー > 人の想いは、つながっていく
2018年公開映像

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(Webサイトのキャプチャ画像です)

福岡堰と伊奈半重郎十郎忠治

小貝川の福岡堰

茨城県常総市つくば市つくばみらい市の3市が接するあたり、
小貝川の川岸に桜の名所としてよく知られている「福岡堰」があります。そして堰の脇には「伊奈神社」があります。
福岡堰は台通・川通用水路、中悪水路などの用水路の水源として小貝川の水が引き込まれている取水口です。
岡堰、豊田堰とともに小貝川の三大堰と言われています。

福岡堰からひかれている用水路

会津を源流とする鬼怒川と日光連山を源流とする小貝川の流域にあって、現在は見渡す限りの水田が広がっているようにも見えるこの地域ですが、実はこの風景はそれほど古くからのものではありません。
土壌の豊かな氾濫原が水田が広がる土地になったのは江戸時代からのことです。(氾濫原は洪水に浸水する範囲のことをを指します。このあたりの平坦な土地は全て含まれます)
福岡堰土地改良区のホームページを参照すると、
福岡堰から川通用水路、台通用水、副用水路、に分岐され、開水路により自然灌漑されるようになったそうです。また、台地沿いに点在する谷津田地帯にも導水されている、とのこと。

小貝川の三大堰とは?
関東地方整備局 下館河川事務所「鬼怒川・小貝川を知る」,https://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/shimodate_index003.html を参照させていただいています)

福岡堰
福岡堰は、旧谷和原村(現つくばみらい市)東部、伊奈町(現つくばみらい市)一帯の新田開発に活用されました。
岡堰
小貝川の北相馬郡寛永7年(1630)につくられた堰は、幾度かの増改築を重ね、現在の取手市一帯の用水源として利用されました。
豊田堰
小貝川の最下流に寛文7年(1667)つくられ、現在の龍ケ崎市、河内町の用水源として利用されました。

小貝川を水源とする用水には、右岸側では 喜兵衛用水、大日堂用水がありますが、後世~明治以降にも改良が加えられ、堰上げされて灌漑されるようになったようです。

この福岡堰は、関東郡代(後の呼ばれ方のようです)を勤めた伊奈半重郎十郎忠治が手がけたものだそうです。
忠治は伊奈忠次の次男で、父、兄の仕事を引き継いで関東一円で治水工事、新田開発、河川改修を行った人物として知られています。江戸川の開削に携わったことが有名ですが、それより前に、鬼怒川と小貝川の分流工事に携わっていたという、土木・土地改良の始祖(?)のような人です。
関東郡代を歴代勤めた伊奈氏ですが、富士山の自然再生、観察会に長年携わっている私たち山の自然学クラブのメンバーにとっては、静岡県小山町にある須走の「伊奈神社」がなじみがあります。須走の神社にまつられているのは<伊奈半左衛門忠順>。今回の機会に調べてみましたところ、福岡堰にまつられている伊奈半重郎十郎忠治は、忠順の4代前に当たるようです。

関東周辺の治水・利水の歴史は、しっかり現地を見ながら調べていくと地形もわかりやすくておもしろいと思っています。現地をゆっくり歩きつつ、観察をしてみたいと思っています。