Green, Forest and Nature.

WEBLOG articles by the Vice Chairperson of The Mountain Naturalist Club

和製英語と日本語(2011年11月記載より)

和製英語と日本語

2011年11月記載ブログより

※ このコラムは、2011年11月の山の自然学クラブ・事務局ブログに記したコラムからの引用(一部修正しました)です。
http://shizen.hatenablog.jp/entry/20111006

〜日本語とことばについてのひとりごと〜

このころ、高校生向けのサイトに使用するための取材を受けました。環境にかかわる仕事を取材しているとのことで、ご担当の方に、雑駁な話をさせていただきました。
とりとめのない話をよくまとめて下さって、さすがプロのライターさんはすごいものだと感謝しています。
その際一部分について、内容に正確を期すために、ちょっと修正をお願いしました。
たとえば私たちが毎年行っている種子採取のことを「採種」と表現していたので、「種子採取」か「種とり」として下さい、とお願いしました。実際には採種も使うし、使っているのですが。
たぶん言われたライターさんは、どうしてわざわざ言い換えないといけないのか、よくは理解できなかったのではないかと思います。
しかし“種”というと、生物の種類という意味の“しゅ”と同じ漢字ですので、“たね”と読むのとは違う言葉になってしまうのです。しかも「採る」というと、植物から直接もぎ取るような場合は正しいのですが、拾ったりする作業は含まれないような印象になります。特に、今回は高校生向けと言うことで、使い分けた方がよいだろうと思い、前後関係からお願いしたものです。
このように、意味を正確に伝える言葉(誤解を排除することと言い換えられます)が、科学分野を学んでいく上では非常に重要となりますので、高校生向けに優しい言葉で書いて頂いてはいたのですが、修正してもらえるようにお願いを致しました。

このように、物事をことばで表現する、ということはたいへん難しい作業です。
書くのと話すのも大違いですが、書く場所によっても大きく変わってくるのではないかと思います。
このようなことがありました。
私が友人と、「あのあたりはきょねん、かなりのふうとうがはっせいしちゃってね」と話していたところ、そばで聞いていた別の友人は
「封筒が発生?なんで?」と思っていたそうです。
最初の台詞を、漢字まじりに直すと
「あの辺りは去年、かなりの(大きな)風倒が発生しちゃってね」です。

つまり、強い風でたくさんの立木が一斉に倒れてしまった、と話していたわけです。
文字で表現すればわかりますが、聞き慣れない方には何のことかさっぱり、ではないでしょうか。

そこで、私は日頃、報告などの文書にはたとえば
「富士山では昨年、台風による大規模な風倒被害が発生した」
   と書きますが、これを参加者の方に現場でお話しするときには、
「富士山では昨年の台風で強い風が吹いて、木がたくさん倒れてしまいました」
   (たとえばですが)と話します。
普通のことのようですが、実はこれをきちんとできる専門の先生はあまり多くはありません。

このように、「正確」かつ「わかりやすい」という表現の仕方は非常に難しいもので、私も日々反省を繰り返しています。
用語には、英語を訳したような言葉も多いため、日本人に心からわかってもらえるように話すためには工夫が必要な言葉もたくさんあります。

たとえば「生物多様性」という言葉はbiodiversityを訳した言葉で、もともとあった日本語ではありません。
したがって、「生物多様性を大切にしましょう」といわれても、どういうことなのか具体的に想像はつかないのではないかと思います。このようなことは大学の先生方もよく言われていることです。
ですがたとえば、「生きとし生けるものすべてに魂が宿っていますから、見えないような小さな生き物でも大切にする心を持ちましょう」と言われれば、たとえ小学生でもどういうことか理解できるのではないかと思います。
しかしお坊さんが話すのならばともかく、そのように教科書に書きにくいがために、教科書ではわかりにくい日本語が多用され、さらにその言葉をそのまま先生が使ってしまう、という悪循環が生まれています。

本当にわかってもらえるように話すためには、私は言い換えられる言葉があるのかどうか、をできるだけ探すことにしています。語彙が乏しく、なかなかうまくいきませんが。
でもこれからも、できるだけ多くの方にわかりやすい表現で、自分の考えをお話しできるようになりたいと思っています。

以前、ドリトル先生 The Story of Dr.Dolittle を読む機会がありました。なんと初版は井伏鱒二さんが訳しているのです。
最初見たときはびっくりしましたが、読んでいくうちに、編集者が井伏さんにお願いした理由もよくわかりましたし、また、ていねいな翻訳作業に深い感動を覚えました。
井伏さんと岩波書店の担当編集者の方が、どれほど児童向けの図書を大切に思っていたのか、将来大人になるためのプロセスとして読書をどのように考えていたのか、その熱意と苦労を端々で感じることができたからです。
訳す言葉を慎重に選び、仮名で通じる言葉はひらがなに、仮名では意味が通じない言葉や部分には漢字を用いています。
そしてたとえば、Dr. Dolittleを言語のまま ドクタードゥーリトゥル、とするのでも、日本語の適当な名前、たとえば中村先生、等のように置き換えたりするのでもなく、原語を日本人が一番発音しやすい音に換えた「どりとる先生」という表現を選んでいます。

明治時代以降、たくさんの欧米の外国語と接するようになった私たちですが、先人たちのこのような配慮や苦労の結晶が、「和製英語」なのではないかと、私は日頃思っています。
現在を生きる私たちも、新しい概念などが生じたときに、後世の日本人がすんなり使ってくれるような言葉の使い方に、気を使っていきたいものだと考えています。

出版、特に児童書や学生向けの書籍類に関わる方には、ぜひもっと、このようなことを真剣に考えてもらいたいものだと思います。
それはひいてはこれらの図書の読者が、それぞれの出版社にとって、将来の顧客層や経営対象となり、彼らに多大な影響を及ぼすことになるのだということに思いを馳せることができるのであれば、自明であろうと思います。